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○ 北九州、親孝行の旅
圧倒されるような上海の活気は決して嫌いじゃない。
しかしやはり、私も妻も50代に入ってからは、その賑わいがこたえるときもある。だから、80近い両親にはなおさらだろうな……。ここ3年、是非一度は上海に、と誘っているのにどうしても腰が上がらない両親の気持ちも分かる気がする。旅行は好きなはずなのに。
そうだ、北九州で会おう。ふと、思いついた。上海と東京からほとんど等距離で、どちらにとっても来やすい場所。上海から往復2000元という広告も見た。北九州空港で落ち合い、車を借りて九州北部を回る、というのは両親にとっても安心で魅力的な計画に違いない――。
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○ 湯煙の中で見た父の背中
私たちは上海から南方航空で、両親は羽田からスターフライヤーで、ともに一時間半ほどで北九州。近い。一年ぶりの両親は、東京で会うより元気に見えた。やはり旅行という非日常が始まることを喜んでいるようで、私は誘ってよかったなと素直に思った。
空港で車を借りて出発したのは午後3時。一路大分に向かう。「お前また白髪が増えたんじゃないか」と父親に突っ込まれ、笑い合いながら数時間走り、大分に着くとすでに夜。早速、母が楽しみにしていた関サバ、関アジを食べに行く。「やっぱり身の引き締まり方が違うわねえ」と笑う母の幸せそうな顔を見ると、さあ、旅が始まったなという気分になった。
夜は別府の杉乃井ホテルに泊まり、温泉につかる。湯煙の立ち上る町を一望しながら湯に身を沈めると、気持ちも休まり、父親との会話も弾んだ。何年ぶりかに見た父の体に、多少の衰えを感じはしたが、元気なことを確認し私はほっとした。そして、妻と母はどうしてるかな、と思わず「おーい」と女湯の方へ声を出したくなった。
翌日は朝9時に出発して、まずは地獄めぐり。ボコボコと噴き上がる熱泥や煮えたぎる真っ赤なお湯はまさに地獄。その迫力に、ふと入ってみたいという願望に襲われたが、やはり地獄は見るだけにしよう。
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地獄から這い出るとともに別府を出発。そして湯布院で昼食を済ませてから、黒川目指してさらに車を走らせる。
この辺りは、最高のドライブコースだ。開放的な高原地帯の中を突き抜ける「やまなみハイウェイ」の周囲の景色にみな見惚れた。草原は緑の絨毯で、空は青のキャンパス。日本ってホントにきれいだね、と両親が同時に言い、みなで納得。そしてときに、草原に点在する牛たちの姿に目を奪われ、おっと、運転に集中しなければ……などと思いながら一時間ほど走ると、黒川温泉に着いていた。
有名な黒川の露天風呂は、静寂な緑に包まれ、ただお湯の音と自然のさえずりだけが聞こえてくる贅沢な空間だった。泊まれないのが残念だったが、充分にあたたまり体がふわっと軽くなったところで、今日の目的地、阿蘇へ向けて再び出発。母が名残惜しそうに振り返り、「今度は絶対に泊まりにきましょうね」と誰にともなく言う。すると父が言葉を継ぐ。「じゃあ、またすぐに二人で来ようか」。
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○ 住んでみたい、とふと思う景色
やまなみに消えゆく夕日に見入りながら走り、阿蘇に着く。泊まったペンションでは、阿蘇のあか牛のステーキや鮮度抜群のアイスクリームが食べられ、妻が大喜び。日本らしさと異国情緒をともに堪能できた。
翌朝は少し早めに起きて、阿蘇山の火口まで上り、雄大な草千里の景色を目に焼き付けてから熊本へ。来年は熊本城築城400年。加藤清正好きの父は、そんな節目の時にこの城を訪れたことの喜びを感慨深げに語り、突如雄弁になる。それを笑顔で見守る母。
昼食に食べた馬刺しとからし蓮根をお土産にもいっぱい買い込んで、午後、私たちは北九州の小倉へと向かった。帰りは高速でさっと戻れるが、やはり帰途はどこか寂しい。
最後の晩は、小倉駅そばのうなぎ屋に入って、みなでせいろ蒸しを頼んだ。ご飯にもタレがしみ込んだあったかく重みのある味わいを楽しみながら、それぞれの九州を頭の中でたどりなおす。そして母が言った。「今年も上海には行けなかったけど、九州であなたたちと旅行ができて本当によかったわ」。
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最終日。午前中は小倉を散歩。小奇麗な街並の中をまっすぐに青い川が流れ、そこで家族が釣りをしていたのが印象的だ。住んでみたいな、とふと思い、妻の顔を覗くと、彼女は大きな芝生の広場を心地よさそうに眺めていた。そして最後に旦過市場に寄ると、母が鰯のじんだ煮を「そんなたくさん?」というほど買っているのを見て、私と妻もまねをした。
旅最後の食事に寿司を食べ、北九州ならではの新鮮な味わいをいつまでも口の中に残しつつ、昼すぎに北九州空港へ。3日前この空港に降り立ったのが遠い昔と思えるほど充実した日々を終えて、私たちは上海へ、両親は東京へとそれぞれの生活に戻っていく。
「ほんとにいい旅だったよ。ありがとうな」まだ新しい空港の大きな窓から外を見つめ、独り言のようにそうつぶやく父の姿を見ながら、私は思った。来年もきっとまた――。
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